森下広一氏は、サブテンランナーで陸上指導者です。
森下広一氏は、突然現れ突然姿を消したという印象があります。
森下広一氏は、突然現れ突然姿を消したという印象があります。
マラソンでは、中山竹通とデットヒートを繰り広げ勝利して世代交代を感じさせました。
バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得した後、出なくなりました。
オリンピック以外でのマラソンは2回しかなく非常に珍しいケースではないでしょうか。
これだけの実力を持った選手が短命で終わってしまったのは惜しいと思います。
プロフィール
ヨミ | モリシタ コウイチ | ||
生年月日 | 1967年9月5日 | ||
年齢 | 歳 | ||
身長 | 165㎝ | ||
出身地 | 鳥取県八頭郡八頭町 | ||
出身校 | 鳥取県立八頭高等学校 | ||
出身大学 | --- | ||
所属(現役時) | 旭化成 | ||
現在:トヨタ自動車九州監督 | |||
自己記録 | |||
5000m | 13:37.64 | 1991年 | |
10000m | 28:01.98 | 1992年 | |
ハーフマラソン | --- | ||
マラソン | 2:08:53 | 1991/2/3 | 別府大分毎日マラソン |
来歴、成績
1986/4/1 | 18歳 | 旭化成入社 |
1990年2月 | 22歳 | 熊日30kmロードレース 優勝 |
北京アジア競技大会 10000m 金メダル | ||
北京アジア競技大会 5000m 銅メダル | ||
1997年8月 | 29歳 | 現役引退 |
1999/4/1 | 31歳 | トヨタ自動車九州監督 |
ニューイヤー駅伝
開催日 | 年齢 | 記 録 | チーム 総合順位 |
1990/1/1 | 22歳 | 第34回 6区(18.0㎞) 0:54:50区間5位 | 1位 |
1991/1/1 | 23歳 | 第35回 6区(18.0㎞) 0:52:54 区間2位 区間新 | 1位 |
1992/1/1 | 24歳 | 第36回 6区(18.0㎞) 0:52:01 区間1位 区間新 | 1位 |
1994/1/1 | 26歳 | 第38回 4区(10.3㎞) 0:29:37 区間1位 | 1位 |
マラソン成績
※太字はサブテン サブテン回数:1回 ★自己記録
DNF:途中棄権 DNS:欠場 DSQ:失格
日付 | 記録 | 大会 | 順位 |
1991/2/3 | ★2:08:53 | 別府大分毎日マラソン | 優勝 |
1992/2/9 | 2:10:19 | 東京国際マラソン | 優勝 |
1992/8/9 | 2:13:45 | バルセロナオリンピック | 2位 |
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