オリンピック男子マラソン歴代(メダリスト)と日本人選手の記録
オリンピック女子マラソン歴代(メダリスト)と日本人選手の記録
1904年セントルイスオリンピック マラソンの結果
1904/8/30 距離:40㎞ | |||
男子 | |||
順位 | タイム | 名前 | 所属 |
1 | 3:28:53 | Thomas Hicks トーマス・ヒックス |
アメリカ |
2 | 3:34:52 | Albert Corey アルベール・コレー |
アメリカ |
3 | 3:47:33 | Arthur Newton アーサー・ニュートン |
アメリカ |
4 | 不明 | Andarin Carvajal | キューバ |
5 | 不明 | Dimitrios Veloulis | ギリシャ |
6 | 不明 | David Kneeland | アメリカ |
7 | 不明 | Henry Brawley | アメリカ |
8 | 不明 | Sidney Hatch | アメリカ |
9 | 不明 | Len Tau | 南アフリカ |
10 | 不明 | Christos Zechouritis | ギリシャ |
11 | 不明 | Harry Devlin | アメリカ |
12 | 不明 | Jan Mashiani | 南アフリカ |
13 | 不明 | John Furla | アメリカ |
14 | 不明 | Andrew Oikonomou | ギリシャ |
DNF | Edward P. Carr | アメリカ | |
DNF | Georgios Drosos | ギリシャ | |
DNF | Robert Fowler | アメリカ | |
DNF | John Foy | アメリカ | |
DNF | William Garcia | アメリカ | |
DNF | Kharilaos Giannakas | ギリシャ | |
DNF | Bertie Harris | 南アフリカ | |
DNF | Thomas J. Kennedy | アメリカ | |
DNF | John Lordon | アメリカ | |
DNF | Ioannis Loungitsas | ギリシャ | |
DNF | Georgios Louridas | ギリシャ | |
DNF | Samuel Mellor | アメリカ | |
DNF | Frank Pierce | アメリカ | |
DNF | Petros Pipiles | ギリシャ | |
DNF | Guy Porter | アメリカ | |
DNF | Michael Spring | アメリカ | |
DNF | Georgios Vamkaitis | ギリシャ | |
DSQ | Frederick Lorz | アメリカ |
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エピソード
レースは早朝に開始する予定だったのが主催者の間違いで午後に代わりました。気温は32℃にも達しました。しかも給水場は19㎞すぎに一か所あるのみでした。
最初にゴールしたのはアメリカのFrederick Lorzだったが15km付近で体調が悪くなり自転車に乗り30㎞に自転車が壊れ再び走りゴールした。初めは優勝者として扱われたが、そのことが判明して失格となりました。
優勝したのはアメリカのトーマス・ヒックスでしたが、彼は後半、何度も神経を刺激する薬を投与されゴール寸前には歩くこともできないほどふらふらになっていました。それで関係者に抱えながらゴールしました。それでも当時は禁止されてなかったので今でも公式の優勝者とされています。
4位のAndarin Carvajalはキューバで名の知れた陸上選手だったが、マラソンを走った経験がなく、個人で街頭でお金を集めたり周囲の人を説得してセントルイスに向かった。しかしニューオリンズに到着した時にお金を取られてしまいヒッチハイクをして競技場につきました。彼は40時間も何も食べていなかったのでレース途中でリンゴの木を見つけまだ実ってない青いリンゴを2個食べたが腹痛を起こしてい待った。それでも何とか4位でゴールしました。
途中棄権のアメリカのWilliam Garciaはコース途中で倒れているのが発見され病院で意識を取り戻しました。
感想
初期のマラソンは、足が地についていればなんでもありだったんですね。
オリンピックでのマラソンは当時から今も過酷なレースですね。マラソンは冬季オリンピックに変更したらどうなんでしょう。
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