マラソンが42.195㎞と言うのはえらい中途半端な距離です。その理由や由来はあんでしょうか。ヨーロッパでは距離をマイルやヤードで表します。それにしても26マイル385ヤードになり中途半端な距離です。マラソンが42.195㎞になった理由や由来を調べて見ました。
初期のマラソンの距離
第1回マラソン大会のアテネオリンピックではマラトンから競技場までを競うレースであったので当初は36.75㎞しかありませんでした。その後もマラソンレースは決まった距離ではなく、長距離(約40㎞)を競うものであったので毎回距離が違っていました。
オリンピックでの距離
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第4回ロンドンオリンピックで42.195㎞これは偶然、第8回パリオリンピックから正式に42.195㎞になりました。
ボストンマラソンでの距離
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ボストンマラソンも1927年から42.195㎞にしましたが、1951~1956年の間は距離不足が判明しました。1957からは42.195㎞にしています。
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マラソンが42.195㎞になった理由
42.195㎞と言うのはえらい中途半端な距離ですね。マイルやヤードで表しても26マイル385ヤードになり中途半端な距離です。理由は第4回ロンドンオリンピックにあります。マラソンは初めは約40㎞で正確な距離を決めていませんでした。オリンピックでも長い距離を走って誰が勝つかに重点を置いていたんです。それで場所によって距離が変わっていました。第4回ロンドンオリンピックでも同じで初めは26マイルでウインザー宮殿(イギリスの王室の所有)から競技場までの距離にしていました。
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ところがアレキサンドラ女王が「スタートとゴールを目の前で見たい」と言い出し「スタート地点をウインザー宮殿のバルコニーから見える場所にして、ゴールは競技場のボックス席の前にして」と言ったために距離が385ヤード長くなって26マイル385ヤードになったと言われています。メートル換算で42.195㎞です。
このときのマラソンにはもう一つの逸話があります。それはトップで競技場に現れたイタリアのドランド・ピエトリ選手はヘトヘトになって入ってきました。トラックを回るときもヨロヨロで今にも倒れそうです。それでも頑張って走っていまいたがゴール寸前で倒れてしまい役員の助けでゴールしました。レースは失格になりましたがその頑張りに多くの人に感動を与えたと称えられました。(ドランドの悲劇と言います)
それから12年後の第8回パリオリンピックで正式に距離を決定することになり「ドランドの悲劇」のこともあり第4回ロンドンオリンピックの距離を採用したと言われています。
しかし42.195㎞という距離は1921年に国際陸連が決定したそうですが、その距離に決まった正式な説明はありません。
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